敬老の日
我が家に年寄りがいなくなった。
毎年、区や町会より何かしらいただいていたものだ。
私自身親を亡くしてはいるが、離れていたため、葬式が終わると、日常に戻れた。義父母は、同居していたので家族が減るという経験を初めて知った。
何とも言いがたい喪失感がある。
義母が亡くなったときの義父の喪失感は想像を絶する。もっと気持ちがわかってあげれば良かったと今は後悔している。
義父母は地域の室内墓所に入れた。
せっかく近くなので、月命日にはいきたいと思っている。
でもカード式のお墓は墓参りも一瞬で終わる。神聖な気持ちにはなるが、やはりお骨の保管場所という感は拭えない。
これからお墓を考えている方、じっくり考えて欲しい。
年間の維持費、住宅の管理料のようなものを払えなくなると、一本裏道にあるお寺の永代供養墓に移される。こちらのほうが、墓らしい。最終的には私たち夫婦もここに眠る。
死ぬということはどういうことなのだろう。
一昨日、女優の樹木希林さんが亡くなられた。まだお若い。
彼女の死に対する捉え方は尊敬に値する。そんな終活を私もできるだろうか。
年取った親を見て、死ぬのは20年先と思っていたが、10年かもしれない。事故とかで明日にもこの世からいなくなるかもしれない。
これから先は死への準備、心構えをしていかなければならないんだ。
次はわたしたちの番だから...
今まで、つたないブログを読んでくださった方、ありがとうございました。
2人の年寄りの介護と葬儀を終え、学んだことは多かったです。
今日にてブログを閉じたいと思います。
本当にありがとうごさいました。
初盆
義母の一周忌を終え、初盆をやっていないことに気づく。
義父の葬式の時期と重なり、それどころではなかったからだ。
この辺は7月にお盆をやるのがほとんどではあるが、こんな事情から初盆は8月にやることにした。
しかし、家族はお盆のやり方を知らなかった。
親身になってくれた葬儀屋さんに相談すると、仏具屋さんが来てくれた。来るなら行っても良かったが…
もうお盆のものは売れてしまって在庫がないそうだ。
これだけは…とお盆セットなるものを購入した。提灯については悩んだ。初盆だけ使う白提灯を玄関などに吊るすらしいが、私自身はこの年になってその光景を一度も見たことないのだ。本当に必要なのだろうか。
一度しか使わないその白提灯は終わった後、お寺でお焚き上げをするそうだが、懇意にしているお寺はない。
結局、モダンな円錐形の白提灯を祭壇に置き、一度しか使わない白提灯を兼ねた。これは毎年使うつもりだ。
節句と同じで初めは色々揃えてもだんだんやらなくなるものだ。盆セットもいらなかったかも。通販で揃えられるし、仏具屋さんに気を使うこともない。
仏壇だってモダンなシンプルなもので良かった。でもこれは義父が購入したものだから仕方ない。
葬式だって、お墓だって変わるのだから、お盆が変わるのも当然であった。
そして13日、昼頃御墓参りをして、夕方家の前の道路で迎え火を焚いた。
一周忌、納骨
義母の一周忌と遅れてた納骨をおこなった。そして、義父の納骨も一緒だ。
出席者は葬式とほぼ同じ顔ぶれ。
新しい納骨堂は予約の時、明細をもらう。明朗会計だ。その金額を袋に包み、担当の方に渡す。早かった。
頼んでいた我が家の宗派の住職によってお経を読まれ、滞りなく納骨も済ませた。
電車でも近い納骨堂だが、今回は二人分の納骨。骨壷の重いことこの上ない。位牌も写真も二人分。出席者は一度で済むが、二人分の持ち物は思ったより大変であった。それも真夏。
真夏に亡くなると法事すべて真夏になるわけだ。
帰り途中で、法要会席の場を設け、2時間楽しいひとときであった。故人が疎遠になった親戚を引き合わせてくれたわけだ。
次はお盆で仏さまに来てもらう?
こちらでは7月にやるのが多いそうだが、義父の葬式でできず、一周忌の後、いささか順番が違ったが、8月の盆には間に合った。
二人一緒にやっていいものかと、葬儀屋さんなどに聞くと、絶対やっちゃいけないものでもなさそうだが、義父は納骨を済ませたが、実際は四十九日はまだなので、忌明けしていないから来年が良いらしい。
初めてのお盆はお坊さんにちゃんとお経を読んでもらうそうだが、うちはそれは省いて簡略してやるつもりだ。
葬儀関係が続き、だいぶ疲れた。
介護ロス
このブログも最終章に入った。
介護期間はどれくらいだっただろうか。5,6年?意外と短かったようだ、ずーっと介護をしていたように感じてる。
じいさんの介護は一年くらい。ばあさんが施設に入ってからもひとりで頑張っていた。
今、同居していた義両親を亡くし、私たちは介護ロスに陥っている。でもまだ、2人で話し合える。ひとりで抱えていたじいさんの心情はいかなるものだったか、その時は分からなかった。私たち以上の介護ロスに陥ることもあっただろう。それを理解してあげられなかったことをとても後悔している。
もっとしてあげられることはたくさんあっただろう。もっと理解してあげたかった。でも、もういない。
しかし、比較的元気だったじいさん。
これから先どれだけ介護しなければならないのだろうと、戦々恐々していたのは、ごく最近のことだった。
ほとんど呆けていなかったじいさんはいつ死ぬのだろうかという不安も抱えていたのだろう。
介護に対する不安と、介護が終わった虚脱感、残された者たちは考えることも多い。
葬儀
葬式が終わった。
葬儀場と住職の都合で随分遅れた。友引も入ったからだ。
2回目、それも前回から一年経ってないので、割とスムーズに進んだ。
結局、じいさんの葬式もばあさんと同じ、家族葬で一日葬とした。写真も随分と前だが、全員揃った正月の写真にした。普段着、普通の顔、自然な感じがよかった。写真に詳しい友人が、焼香に来てくれ言った。写真のトーン、明るさが同じだと。
まだ並べて飾ってはいないが、同じような雰囲気で私は気にいっている。
お洒落だったじいさん、なんでこの写真なんだ⁉︎と怒られそうだが、見慣れた顔だ。
葬式は滞りなく終わり、家にお骨として戻ってきた。 祭壇はまだ納骨していないつれあいと並んだ。60年以上一緒に過ごした夫婦。最後は一緒に墓にはいる。
逝く
深夜に帰ってからも少しぼーっとしていたが、いけないと思い風呂に入り、就寝準備中にまた電話が鳴った。
じいさんが亡くなった。
朝まで病室にいると言った私だが、促されて帰ってから、急変したらしい。
あれから1時間しか経っていない。
長男は着替えてすぐに病院に向かった。
私はまだ風呂上がり、身体を拭いていると、雨の音、、、深夜の雨。
深夜一人で自転車で雨の中走る元気もなく、雨がやむのを待った。以前、お世話になった葬儀屋に夜中電話、仕事とは言え大変である。
雨が止む頃、もう遺体は葬儀場へ。
家の前を車で通ってくれた。今都会では、自宅で葬儀を執り行う家はないので、近所は亡くなったことなど知らない。
以前は近所まとまって送迎バスに乗り行ったりしたが、それもやらなくなった。周りは年寄りばかりだ。施設に入っている方、自宅で介護されている方、一人暮らしで毎日のようにヘルパーさんが来ている方。みんな事情を抱えて精一杯生きている。
葬儀場に着いた。打ち合わせをしていた。また家族葬、一日葬で執り行うことを、夫は決めていた。
まだ、前の葬儀から1年経っていない。正確には11カ月、の月命日だ。
義母は四十九日に納骨が間に合わなかった。入退院を繰り返したじいさん、元気な時は、寒いから!と言って延ばし延ばしになっていた。二人分になっちゃう!と思っていたら、本当に二人一緒の納骨になった。
一周忌と四十九日を一緒にやるつもりだ。