危篤

それはいきなりだった。

 

その日の朝、病院から電話があって危ない状況であることを告げられた。

一昨日行った時は普通であった。微熱があって水枕などされてはいたが、熱のせいか、寒いと言っていたくらいだ。

 

家族で面会に行くと、酸素マスクをつけられていて、状況がわかるモニターが設置されていた。何が悪いのか素人にはわからないが、ピピッ、ピピッとアラームが鳴っていた。それでもオレンジ色の点滅は消え、普通の状態に戻っていたが、残念ながら呼びかけに反応しない。

手が冷たい!

どきっとする。本当にもうだめなのか⁈

 

担当の先生がいらっしゃって、説明してくれた。今、落ち着いているが、危なかったので家族に連絡したと。

家族で見守り、少し経つとまた、オレンジ色の点滅とアラームが鳴り出す。

血圧が80を下回ると、鳴り出すようだ。鳴っても誰も来ない。

このくらいはたいしたことないようだ。

少しすると、また落ち着き小康状態になる。

 

しばらくして、大丈夫だと踏んだ私たち、朝慌てて家を出て来たので、何もしていないので、一旦家に戻る。

会社員の息子と弟は会社へ向かった。

私たちはそれぞれの所用をこなし、また夕方集まった。

 

普通の状態と危ない状態を、行ったり来たりしている。周りは雑談をしたりしながらモニターに集中していた。私たち家族と、弟家族が集まって、見守っていた。

 

夜中、夫を残し、皆家に戻った。小康状態が続いていたからだ。それはご家族の判断で、と看護師さん。

 

私たちはじいさんの体力に賭け、家路に向かった。

 

自転車で15分くらいの距離、今日は何往復しただろう。日付は変わり、深夜だった。

後悔

3日前、じいさんの介護認定。

入院中なので、病室でおこなわれた。認定員はいつものケアマネさんなので、気心が知れていて、じいさんも今の気持ちを話した。今は介護1である。

 

認定の度合いを測るチェックでは主に看護師さんに聞いていた。そんな場面を見て、じいさんは自分は蚊帳の外だというのだった。そう、前回まではすべて本人が自分の状態を話していたからだ。

 

私たち夫婦は担当医とも話をすることができた。

通院からお世話になっている先生なので、前の状態を理解してくれているのは良かったが、あまり良い状態ではないことを告げられた。

 

本当はもう回復病棟に行けると思っていたそうだが、肺の水は取れたが、嚥下も、歩行のリハビリもはかどらなかった。

筋力は随分と落ち、捕まって立っても、20数えるくらいだ。もうやる気がなくなっているのだ。

 

昼食はゼリーだそうだが、うまく飲み込めていない。

 

ちょっとボケもはいり、点滴を取ってしまうため、拘束されている。医師から、腕の点滴が無理になっているので、鎖骨のあたりに、点滴の管を埋め込むことを提案され、承諾した。

 

そんなのは、良くない!!  と心の中で叫んでもやるしかないのだ。

点滴とっちゃってもいいということは、死に繋がる。

 

もう家庭で死ぬことは難しくなっているのだろう。医師に療養型病院の転院をすすめられた。

もう、施設も難しいのだ。

 

まだ、亡くなってはいないが、何か心の中にぽっかりと穴が空いたような感じであった。

もう家庭には戻ることはないのだ。

 

家での介護はなくなった。

車椅子も、歩行器も、風呂の介護用の椅子も、もう使われることはない。

 

もっとやってあげることが、あったのではないか。

 

心の中は後悔の念でいっぱいだ。

リハビリ

じいさんは相変わらず。

食事は昼食だけ、とろみのあるお茶をのんでいる。

毎日リハビリをしているが、ベッドの横に立つのも一人では無理。

リハビリ室では平行棒につかまり、歩くのかと思ったら、20秒立つだけ。

そして足踏み20回。でも足はそれほど上がっていない。かろうじて腕の力で保っているという感じだ。

 

退院は到底無理。

そして自宅介護も無理になってきたような感じである。

無論、本人は家族の手助けを借りて、自宅で過ごしたいだろうが、動けないことには助けられない。

介護離職は絶対してはならないと言われているが、じいさんが家にいた時は、自営の夫は離職状態。収入かない月もある。夫には仕事に集中してもらいたい。

妻である私だって、仕事を辞めるわけにはいかない。私の収入は生活費だ。

 

じいさんはそんなことおかまいなしで、自分の世話をしてもらいたがる。

ばあさんも認知で大変だったが、施設に入る前までは昼間はじいさんがいたので、なんとかなった。

 

介護は100いたら、100のパターンが存在する。身をもって経験しているわけだ。

親の介護は、一家離散につながりなりかねないのである。

 

回復食その後は

入院してひとつき、やっと拘束が取れ、壁に「昼食のみ」の札が下げられた。

 

「おもゆかなんか食べた?」と聞いても食べてないという返事。

「なんで監禁されてるの?」とじいさん。やはり認知は始まってきている。

1週間前からリハビリも始まっている。

まずは両足で立つところからだ。 ずっとベッドに寝て、食事も摂っていないので、これからが大変である。

家で生活できるレベルまで戻るには大変である。

もう私たちには介護できないかもしれない。介護しながら仕事をするのは並大抵のことではない。介護をしていたら、生活ができなくなってしまう。家族共倒れである。まだ家のローンも残っている。今だって生活ぎりぎりだ。

特養や有料老人ホームは増えてはきているが、それでも入れない人は多い。ひとり暮らしの老人が増え、家族がいても生活に追われては介護ができない。

介護従事者が増えず、介護予備軍(私たち)は自分の健康や家計に手が回らず、親の介護に追われる。何かがおかしい。

 

夫は今日も叫ぶ!

おれは早く死ぬぞ!

 

せん妄

入院したじいさんも肺の水も抜け、すぐに回復した。

90すぎのじいさんの復活に、周りは驚いた。すごい‼︎

 

しかし、体の筋力の衰えはゆがめなく、一昨日本人ベッドから降りて尻餅をついたそうだ。そのため少し拘束された。

体力のあるじいさんでも、入院や拘束でせん妄を起こす。

昨日少し早めに面会に行くと、じいさんは興奮状態だった。部屋では若い看護師さんふたりが困っていた。

 

俺に昼飯を食わさない!

ごまかして、やり過ごそうとしている‼︎

90すぎのの年寄りだと思って馬鹿にしている‼︎

 

看護師さんからの説明はなかったが、食事の取れないことに何か説明不足だったのだろう。忙しい看護師さんたちに私たちは頭をさげた。

 

看護師さんが去った後も興奮状態。

食事が取れないことを、優しくさとしてもらったのだろうが、それを馬鹿にしているととった。

そもそもじいさんは耳がとても遠い。他人の言ったことなと、聞こえていない。

歳行ったベテランの看護師さんにガツンと言われたほうが、じいさんに効く。

呆けたじいさんだと思って曖昧な表情は誤解を招く。

 

見ただろ⁉︎

看護師ふたり笑ってやがる。

 

ふだん他人に対しては丁寧な口調だが、その時は違った 。病院でお世話になっているのに、ひどい口をきいている。

 

食事が取れないことが理解できない?

少し良くなるとこんな調子になるとは悲しい。

 

退院したらどうなるのだろう。

不安でいっぱいだ。

 

ふたたび入院

先日、予約の1週間前だったが、医者に行った。

薬は飲まない。

外に出ないので、足腰が弱っている。

痰が絡まっている。あーあーと声を発する。

心配することがたくさんあったので、じいさんを説得して、かかりつけの医者に行った。

 

結果、肺に水が溜まり、手術で胸に管を通し水を抜くことになり、入院。

苦しくなかったのだろうか。

多少ボケては来ているが、認知症と疑われるほどではない。

 

でも取りあえず、安心した。

予約日を待たなくて良かったし、もっと早くに連れて行ってあげれば良かったとも思う。

 

死にたいといってみたり、入院したいと言ったり、薬飲むとかえって悪くなると言って薬も飲まない。

認知症だったばあさんより、明らかにしっかりしているのだが、どうやって対処したらよいか、悩む。

 

面会に行くと、もう楽になったのだろうか、杖を持ってきてほしい。菓子を買って来てほしいどう要求する。今置かれてる状況はあまり理解していないようだ。

 

入院は4週めやすだそう。

内臓は治っても足腰は弱る。

これからも大変だ。

 

 

 

怒り

『介護する人』

のタイトルの時書いたが、義父の介護の全部は私たち夫婦にゆだねられている。

夫の弟はほとんど来ない。

車で20分くらいのところに住み、最近車も買った。仕事が忙しいらしいが、音沙汰ない。

3月は連絡もなく、様子を見に来ることもなかった。

4月にはいり、夕方夫婦で来た。どこかに行った帰りだろう。優しい義弟だが、兄(夫)に甘えている。夫は留守だったので、私が代わりに小言を言った。

 

5分10分でいい、じいさんに会いに来て欲しい。家にこもっているので…

夫はひとりで抱えているので、話を聞いてあげて欲しい。ひとこと、ねぎらってほしい。

仕事が忙しいのはわかるが、それは誰でも同じ。ポイントはふたつだけだが、夫がいないので、思い切り言ってしまった。

今、夫婦は精神的に参っていた。

最近ちょっと聞かなくなったが、介護殺人の気持ちがよくわかる。病院にも行かず、デイサービスにも行かず、わがままを言っている年寄りと暮らすことは辛い。

「もう親を捨てるしかない」という本を以前に読んだ。介護殺人になる前に、もう介護できないと介護を放棄してもいいのだ。

話がそれてしまった。

義弟は数日後、ふたたび家に来た。

夫は介護を含めていろいろな話ができ楽しそうだった。

 

私は「怒り」をぶちまけて良かったと思った。